
働く母の背中を見て育った少年時代

私は、昭和25年10月3日、北海道札幌市で生まれました。父は私が小さい頃から結核を患い長い入院生活。貧乏の中、母は昼夜わかたず働き、父の看病と2人の兄弟を必死で育ててくれました。中学生になった時、少しでも母を助けようと新聞配達をしました。私が14歳の頃、父が他界。その時に親身になって相談にのってくれ、手を打ってくれたのが公明党の道議会議員でした。その方は親切で頼りがいがあり、地域の人からの信頼の厚い人で、スーパーマンに見えました。私も大人になったら「苦しんでいる人、困っている人に寄り添って、頼れる人になりたい」と小さいながら決意しました。
都民の生命を守る政治

私が早稲田大学の学生だった頃、神田川は暴れ川とよばれ氾濫を繰り返し、毎年、畳上げを手伝ってきました。当時は台風や豪雨になると、心配でよく川の様子を見に行きました。その原体験から、議員秘書時代から河川改修に取り組みました。
私が都議会議員になって間もない2005年9月4日、ゲリラ豪雨で神田川が氾濫、杉並区、中野区、新宿区で浸水家屋3,588戸という甚大な被害をもたらしました。私はすぐに現場に駆けつけ、救援活動に参加しました。
この時に、私は「被害を防げなかったのは、都議会議員である私の責任だ」と痛切に感じました。それ以降8年間、地震や水害などの自然災害から「都民の生命を守る」政治を貫いてきました。【秘書時代の写真】
「売る広告」から「人々の意識を変える広告」へ

私が広告代理店時代に思い出深い仕事があります。それは、1992年に東京都から受注した「ストップエイズキャンペーン」です。その当時、世界的にエイズが流行、日本でも誤った偏見や差別が広がりつつありました。そこで東京都は、エイズの正確な情報、予防方法を訴えるキャンペーンの案を各広告代理店に募りました。そこで採用されたのが、私たちが提案したCMでした。そのCMは当時の売れっ子タレント、知識人や著名人を20人集めて、エイズを止めるために立ち上がってもらう、しかも出演料はボランティアでという企画でした。出演交渉は難航しました。エイズという問題を扱うことで、タレントイメージが崩れるという事務所が多かったのです。しかし、1人1人地道に出演交渉を重ね、最後の出演者に長嶋茂雄さんが快諾してくれたのです。
放映が始まると、民放や新聞がこのCMを取り上げてくれたおかげで、当初の広告効果の倍以上の効果があったと言われています。
このとき、今までにない画期的な公共広告を作り出したということでACC全日本CMフェスティバルで受賞することができました。
また、私たちのチームを描いた小説が出されたり、テレビドラマ化までしていただきました。
【経歴】
- 昭和25年10月3日生まれ。北海道札幌市出身。
- 昭和49年、早稲田大学社会科学部卒。
- 木内良明・長田武士両衆議院議員秘書を計11年にわたり務める。
- 大手広告代理店に勤務
平成17年7月、都議会議員に初当選。
- 東京都監査委員、党東京都本部中小企業局長
新宿総支部長 - 妻、2男1女の5人家族。
新宿区高田馬場4丁目在住。 - スポーツ:スキー・スケート
- 血液型:A型
- 好きな言葉:ありがとう
- モットーは「現場第一」